トランペット&コルネットと自分の関係は、中2の3学期から始まった。高知市の当時の中種商店街(現はりまや橋商店街)にあったミレナ楽器店(今は無い)に行って、コルネット(Nikkan Imperiale Cornet)を買ってからだ。価格は3万円台だった記憶があり、貯金と正月のお年玉と親の足しで購入した。
南国市の自宅は長閑な田舎で、結構な音を出して練習しても、特に苦情もなく、部屋の防音工事も必要なかった。夏などには、そのまま窓を開け放してコルネットを吹いてたこともあったくらいだ。
中3になると、弟が同じ中学に入り、同じブラスバンドに入部した。
「金管楽器やったら、トランペットが良いよ」自分の助言で、弟はトランペットを始め、楽器もTr-134(NikkanのTrumpet)を買って吹いていたが、体を悪くし、パーカッションに移った。必然的に、弟の楽器は自分が引き継ぐことになった。
大学時代、大阪のジャズ研のBOXに持ち込んだのは、弟から譲り受けたTr-134で、7Dのマウス(V.Bach)で吹いてた。コルネットの方は、実家に置いてきいてた。春、夏、冬の長期の休みのたびに、高知、大阪間を楽器を持って行き来するのは大変だし、当時はさほど運送会社も信用してなかったので、『楽器を送る』ということにも抵抗があったからだ。大学に入った時にも、ギターはケースに入れ、手荷物として列車内に持ち込んで運んだ記憶がある。結局のところ一回生の時は、大阪ではTrumpet、高知ではCornetを吹いて、それが続くものだと思っていた。
二回生になって、5月の初め、
「お母さんから電話です」と大家さんが呼びに来た。電話に出ると、
「家が丸焼けになった」
「えっ⁉」一瞬驚いて、
「それで、みんなは?」
「みんなは無事やったけど…」一安心はしたけど、状況を把握するためには連休に帰るしかなかった。
家族は三人とも無事だったが、二階に寝ていた弟は少し逃げるのが遅れ、髪が焼けたので丸刈りにしていた。当然、愛用のコルネットは跡形も無かった。
その後は、ギターとトランペットの二本立てだったが、一度、
(ギターもあるし、曲も作ろうと思えば作れるから、トランペットはいらない。ブラスバンドに入った甥にあげよう!)と思って、Tr-134(甥の父;弟の遺品になってた)を滋賀に送ってから、トランペットとも コルネットとも無縁になってた時があって、15年くらいの年月を経て、『フリューゲルホルン吹いてみたいな…』と思うようになった。
フリューゲルホルンを買った次には、やはりトランペットを吹いてみたくなった。その時に買ったトランペットが、Kaerntnerだった。
(15年も吹いてなかったので、下手になった…)音が全くでなかった。というより、
(自分の吹いてる楽器は、本当にトランペット?)って感じだった。値段が安いからという理由で選んだとはいえ、『新品なのだから、きちんとした音は出せる』つもりだった。ブランクのせいか、楽器のせいか、その両方なのか、いずれにしろ自分の思ってた『トランペットの音』は出せなかった。その後、KAWAIの中古のトランペットを手にするまでは。
カテゴリー: 随筆
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