【創部の経緯】
引継ぎのために過去のデータを申し送りして、何年も経ってしまった(データが無くなってしまっている!)ので、創部の経緯や時期は定かではないが、昭和62 年あたりに二期生の何人かが、
「先生、ロックやりたい。軽音楽部作って!」と言って来たのが切っ掛けだったように記憶している。自分もヤマハのPOPCONとか出たこともあって、ギターは弾いてたりしたので、陳情して来た生徒達には、
「やりたい奴をもう何人か集めて来い。創部の条件が満たされたら、面倒見てやらんこともない」というような返事をした。学校創立間もない時期でもあり、まだ部活の数もさほど多くなかったので、『創部の条件』と言っても、そんなにシビアなモノではなく、やりたい生徒が何人か集まれて、常勤教師の顧問がつければ、特に公序良俗に反しない限りは認めてもらえた。
次の日に早速、職員室へ駆けつけて、
「先生、見つけてきた。**も**もやりたい言いゆう!あと**も。兼部、構んがやお?」
「うん、部活って言っても(練習する)場所がそんなに無いし、曜日と時間を決めて部室と機材を交代で使い回しすることになると思う。兼部も認めるつもり。それより、自分がやりたい楽器はみんな持ってる?当面は学校の補助なんか無いから、自前でやってもらうことになる。その代わり部費も取らない」ということで、とりあえず創部のための条件が満たされたので、『軽音楽部』設立のための書面を書き、提出した。
部員として記載したメンバーを見ると、いずれも一癖も二癖もありそうな個性豊かなアウトロー達(あまり成績優秀で品行方正とは、正直言い難いメンバー;でも名古屋大なんかに行った奴も出たけど…)で、メンバーの名前を聞くだけで眉をしかめられた先生も居たが、特に創部を阻む理由にはならなかったようで、当初学校からの補助金無しの『軽音楽同好会』としてスタートした。
【卒業式】
二期生の卒業式(卒業生個々に校長先生が卒業証書を授与した最後の卒業式)、いろんなトラブルもありはしたが、高三の主任をやっていたこともあり、自分達はかなり感激して、ブラスバンド部の演奏する『夢をあきらめないで』とかを聞きながら、
(ああ、色々あったけど何とか無事に送り出せた。あとは、連中を受験で戦えるように仕上げてやるだけ)とか考えてたら、
「先生、僕らも演奏したい!」
「やらせて!」数名の軽音部員達(二期生)が、自分を探しに来て訴えた。
「ダメや!そんなん、当日に急に言われても予定してないから無理!」
「なんで?ブラバンは演奏してるのに…」
「なんで僕らはダメで、ブラバンはええの?」
「ブラバンはこのためにかなり練習して来てるんや。お前らはやってないやろ?どう言われても今日は絶対無理!」
自分は、シクラメンを胸につけたまま訴えてきた部員達を制止するのに必死だった。『軽音はやかましい』とか『部室が汚い』とか、いろんな苦情がある度に連中を呼びつけて、注意したり、掃除させたりと指導して来たが、ただでさえ教員たちにウケの良くない彼らには、せめて卒業式当日は、何の文句も言われないまま、卒業させてやりたい思いで一杯だった。結局、どうしても納得のいかない者(多分、そこに来た全員が多かれ少なかれ納得はいってない様子だったが…)をなだめながら、四、五人が部室の方に向かって行ったが、彼らが演奏をすることは無かった。
次の登校日に、泣きながら捨て台詞を残して自分の前から消えた生徒を連れて、何人かが、
「先生、昨日はすみませんでした」と謝りに来た。
「いや、お前らーの気持ちは分かるけど、もっと前から、そのつもりで準備しとかなー。その時の気持ちだけで演奏したら、聞いてもらう人にも悪いし…」軽音の体面を考えて彼らを制止したことは間違いの無いことだったので、理由にもならないような理屈をこねてることは重々承知だった。彼らは、
「ハイ」と返事はしてくれたが、無念さは十分自分にも伝わって来た。
【文化祭ライブ】
当時は、グループごとに曜日と時間を分けて、部室や機材(基本的に自前か寄贈されたもの)を使って練習をしていたが、その成果を発表する機会は、校外でライブハウス等を借りて、ライブをするくらいだった。(観客はほぼ身内のみ)『兼部可』ということで、文化部の中では部員数はブラスバンド部についで二番目だったが、前にも書いたように『ケイオン』と聞いただけで眉をしかめられる先生方も居られたこともあり、長期間部としては認めてもらえず、学校からの補助金は無かった。
そんな折、文化祭で発表するクラブで、特に儲けがない場合、三万円補助してもらえる制度があったので、
「文化祭でライブやるか!」ということになった。出入りの楽器店に、文化祭前日からの機材のレンタル料金を打診すると、PA、マイク、アンプ、スピーカー等で最低五万円くらいは必用なことが分かり、
「三万円しか出ないんで、なんとか三万円にならないですか?」とダメモトで掛けあってみたが、さすがに、
「いや、それはちょっと…」という返事だった。体育祭等の行事の時にレンタルの機材を使っているようだったので、体育科に訊ねてみると、『事務の山岡さんの伝手』ということが分かり、山岡さんに、
「三万円で、レンタルできるところ無い?」って尋ねたら、
「いけるんじゃないかな。聞いてみちゃお」ということで、その後は山岡さんが紹介して下さったアルテックさんにずっとお願いしている。
いろんな経緯があって、現在は一教室を借りてライブしているが、当初はブラスバンド部の大石先生にお願いして、ホールを借りてライブをやった。自分は基本的に調整室に入ってそれぞれのライブを聴き、最後にメンバーを集めて、彼らの今後の演奏にプラスになればという思いで、一グループごとに講評(ほとんどダメ出し)をしてあげた。何年かそれを続けたが、一グループだけ、自分の基準に達していたライブがあって、ダメ出し無しで褒めた記憶がある。今となっては、それがどんなグループだったかの記録はないが、今密かにG*****nのボーカルとして活躍しているHあたりも、結構なダメ出しをされている可能性は高い。

カテゴリー: 随筆

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