初恋(私の学生時代より)
    宮本 鎌右紀
ブラスバンド部
 中1の時、同じクラスの田中という友人の勧めで遊び半分の気持ちで音楽室に行き、そのままブラスバンド部に入部させられてしまった。小学校の時は音楽はまったく駄目で、母に、
「宮本家は画家はおったけんど、音楽家はでたことがないきねー。」と、変な慰め方をされたことがあった。(何年か後、私が音楽大学へ進学したいと母に言ったときも《だから止めておきなさい。》という意味で同じことを言われた。)
 田中はクラリネットで、私は最初フルートをやりたかったが、《手が長いから》という理由でトロンボーンにまわされた。譜面の読み方から音の出し方まで、中岡という先輩から徹底的に指導された。かなり厳しい人だったが、おかげで楽譜が読めるようになったのだから、今は感謝している。楽譜をまったく読めないものに指導する難しさは、後輩を持ったときに初めて分かった。
 私達の頃のブラスバンド部は県下ではトップクラスで、三年連続で四国大会に出場し、松山、徳島、丸亀と遠征することができた。その時の顧問は大野という音楽の先生で、今思えば彼が熱心に指導をしてくれたおかげだという気がする。しかし、その頃の私は彼に対しては不満だらけであった。たぶん、彼にとっても私の存在は、目の上のたん瘤と言ったところだったろう。私は《いつクラブを辞めてもよい》という気でいたから、彼に対して様々な要求(実現不能なものも含めて)をしたが、そうかといってブラスバンドというクラブの性格から、各パートの《演奏できる者(特にパートリーダー)》は居てもらわなければ困るのである。
 結局、私は彼の思い通りに第三学年の十一月二十三日(ブラスバンドの県大会の日)までクラブを続けることになったが(最後まで続けてしまった!)、今はそれで良かったんだと思う。
オリュウ
 そんな不満だらけのクラブに彼女が入ってきたのは、確か私が二年の時であった。
 彼女の名前は《竹村 律子》。(リツコだから、《オリュウ》と呼ばれていた。)角田という女の子と一緒に入部してきた。二人とも二年だから、私と同級生であったが、一年の時はまったく存在さえ知らなかった。二人はクラリネットのパートに入り、しばらくはさして気にも留めなかった。
 彼女のことを意識しはじめたのは、たぶん、夏に野市の青少年センターに合宿した時からであった。彼女のワンピースが可愛かったのである。今でもクラリネットをくわえて、驚いたような眼差しで私の方を見つめる色白の彼女の姿を私は思い出せる。
 そして、意識をしはじめると、意気地がなくなるものらしい。特に私のような純でへそ曲がりのカントリーボーイは。
 そうなって来ると周りの者が世話を焼きたがるもので、秋口に、
「ミーヤン(私の中学時代のニックネイム)、二階の階段の所でオリュウが待ちゆうき。」早う来て来てとウマ(トロンボーンの後輩)に引っ張られてそこまで行くと、角田さんとオリュウが居た。そして、角田さんが、
「ミーヤンは誰が好き?」と聞くのである。あんまり突然だったし、当然好きな人を目の前にしていたのだから、照れ隠しもあって、
「さーねー。誰やろうねー。」などと、二、三回繰り返した。その間に角田さんと、ウマの好きな人は聞くことができた(二人とも差障りのない人:その場にいた二名の異性を含んだ複数の人物だった。)が、肝心の《オリュウの好きな人》は聞くことが出来なかったのである。
「もう、えい。」私の煮え切らない態度に、ため息混じりにそう吐き捨てて、彼女はそこを去った。
 角田さんは慌てて追いかける。ウマも慌てた。しかし、それ以上に慌て、うろたえて居たのは、実は私自身であった。
(オリュウの好きな人の中に、もしも自分の名前が入ってなかったら・・・。)と考えると、とても言い出せなかったのである。たとえ、
(そんな筈はない!)と心の中で打ち消してはいても・・・。
 しばらくして、角田さんに連れられて彼女が戻って来たから、私は
「オリュウと角田さん。」(当然申し訳無いが、二番目は照れ隠し。)と慌てて彼女に言うと、彼女の方は、
「ウマとミーヤン。」嬉しさは半分以下だった。なぜ私の名前が一番目に出て来なかったのかは私が中学生の時代には分からなかった。
密室
 K中の音楽室にはレッスン室という小さな部屋が幾つかあって、各パートの練習はそこでやるようになっていた。
 いつだったか、その二号室にオリュウと二人で閉じ込められた事がある。二人で音合わせや話をしていた間に同級生が椅子を幾つか並べてドアを開かないようにしたのである。部屋は三階にあり、窓が一つあるだけで、完全に密室が出来上がってしまった。
 もちろん、相手はからかい半分のつもりでしたのだろうと言うことは想像できたが、私は許せなかった。
「あかん。あかん。」と言いながら、何度もドアを押したり蹴ったりしてみたが、ドアはつかえて、開かなかった。
 オリュウは落ち着いていた。
「待ちよったらええやんか。誰か開けてくれらーえ。」彼女は椅子に座ったまま、ドアに手を掛けようともしなかった。
 私は彼女の気持ちがわからなかった。理解しようと言う余裕さえなかったのである。おそらく、私一人で閉じ込められていたら、もっと落ち着いていたろうとは思う。何しろ、《彼女に対してそういう仕打ちをした》ということ自体に私は腹を立てていたのだから。
 オリュウは窓とドアを行き来する私を理解できなかった様子で、いらだってドアを蹴りつける私に、
「もう、やめや。待ちよったらえいわえ。」と、力のない声で言った。そして、泣きそうな顔でクラリネットを吹いた。
 私は一つしかない窓から、下を見おろし、ため息をついていた。地面がいつもより遠くに見えて、とてもトロンボーンなんか吹く気にはならなかった。
 諦めてからしばらくして、
「ごめん、ごめん。」と言って同級生がドアを開けに来た。私は彼に文句を言ったが、オリュウは何も言わなかった。
 彼の余計な《好意》が裏目に出たことは、たぶん、間違いなかった。
 結局、私は、
(彼女は自分よりウマの方が好きなんじゃないか。)という猜疑心に悩まされ続け、彼女の手も握った記憶がない。
ポートレイト
 数年前に母から、
「竹村さん言うたろうか、ここへ来た事があるゆうて言いよった。」と言う話を聞かされた。良く聞いてみると、オリュウのことだった。家の近くにコスモスの咲く川があるが、それを見に来た保母さんの内の一人だったという事である。
「写真を撮りよったら、一枚撮ってくれゆうたき、撮っちゃった。」
私は写真を見せてくれとせがんだ。写真はサービス判で、コスモスの花の中に六、七人の保母さんが写っていて顔が小さくて良く判らなかった。
「どれながー。」と尋ねると、
「これやったにかーらん。」と言って一人を指差す。色白の娘さんが写っていた。
「へえー。小さいき、判らんねー。」しかし、そう言われれば確かにそうだと思った。
 私が大学二年の春、火事で家が全焼したので、中学時代の名簿や写真や手紙、四国大会のレコードなど、思い出の記録になるものは一切残ってない。少々キザな言い方をすれば、私の記憶の中でだけ、あの彼女は居るのである。私は写真が小さくてほっとしている自分に気付いていた。
初恋・恋について
 《初恋は実らない》などという迷信は信じたくなかったし、未だに信じてはいないけれど、確かに、大人になるまでそういう関係を持続させるのは難しいものらしい。だから、初恋という言葉は、はかなく、初々しく、美しく響くのかも知れない。
 特定の異性の誕生日をそらんじるようになったり、ため息混じりにその人の名前をお題目のように唱え出したり、机の前に座って数学のノートを開いて、
「今日はあの人の名前を百回書くんだ。」などとやり始めると、もう十分病気である。
 私は何度かそんな病気を病んだ事がある。

※ 登場人物はすべて仮名です。

カテゴリー: 随筆

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